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2008-10-04

ドライブという息抜き

以前、数人で話していたとき「気分転換に何する?」という話になって、僕は「ドライブかなぁ?」と答えたら、また別の人が「運転っていうのは、認知・判断・操作を繰り返す、とてもつかれる行為なのに、それでなぜリフレッシュできるんだろうね?」と。

僕は「多分、目的地を決めずに、時間に縛られることもなく、運転をしているからじゃないかな?」とその時答えた気がする。

・・・

曲(ポップス曲)を一曲仕上げなければならない仕事があるんだけれども、試験も終わったし、昨日中間発表も終わったし、一息つける状況にやっとなって、なんというか欲求という欲求がなくなってしまったかのような感じだったので、これで鍵盤に向かっても空虚な曲になってしまうような気がして、天気も良いし、久々に一人で車を走らせました。

運転しだしてから、冒頭の言葉が思い出されて、何でだろう?って考えながら・・・

運転しているときは、本当に色々な事を考えています、逆に考えることができます。なぜかというと、運転て一歩間違えれば死ぬじゃないですか。殺すかもしれない。そういう鉄の塊という凶器を操作している緊張感は教習所に居た頃から全く変わっていません。運転者として車を走らせている以上、安全運転「しなければいけない」じゃないですか。

この「しなければいけない」が重要なポイントなんじゃないかな、と。例えば家の中でごろごろしている分には「しなければいけない」ことはないですよね、特に生命に関わることで。つまり、日常にはない非日常である緊張感を持つことによって、逆に言えば「それだけしていればいい」という安心感が僕の中で生まれます。

家の中でのんびり過ごし続けると、むずむずするのは、”第一に”やらなければ行けないことがないから、その他のやるべきことが思考の中に多々現れて、どんどん不安になっていくからなのかもしれません。その点、運転している最中は「安全運転」という第一にしなければいけない緊張感と精神的な安心感が、余計な思考をクリアして、思考回路が多分単純になってるんだろうな。

結果的に車に乗っているときは思考がまとまっているように感じられるから、「色んな事を考えた」って思えるんだと思う。いつものように漠然と思考が枝葉のように一瞬にして広がってしまうと、結局何を考えていたのかわからなくなってしまう。運転中は、一本道の回路に限定された状態で、その幹を行ったり来たりはするものの、クリアに考えの道筋ができていくような気がするのです。

僕にとってドライブは気分転換、というよりかは、思考整理なのかも。

・・・

じゃあ、人を乗せて会話してるときはどうなんだろう…とか考えながら、日が暮れたのと、バイパスで渋滞に巻き込まれたので思考が頓挫しました。日が暮れると、見えにくい分もちろんスピード落ちますが、それでもやっぱり見えないじゃないですか!お日様ってすごいな!…だから、ほとんど思考停止です。そうか、”夜に”気分転換に運転、はできないわけだな。そういえば、絶対晴れた日の日中に出発してる自分に気づく。

ちなみに、村上方面・笹川流れへ車を走らせ、海沿いを走りました。いつも通過してた岩船港を初めて見ました。新潟県はほとんど走ったような気がするけど、佐渡と粟島に行ってないからなぁ。途中ゲリラ雨に何度か遭遇しました。その後学校へ寄って、『DApendulum』の機材を回収。機材多くて大変だったなと思いつつ、もうコレやらないんだなぁ…と。荷物運びに車は本当便利です。学生の身分で車持ってるなんて本当贅沢してると思っております。ありがとうございます。

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