【教えたいシリーズ】音楽史〜現代アート・現代音楽はなぜ生まれたか〜
今日も、私が大学4年間で学んだ「面白い!」と思ったことを、誰にでもわかりやすく書いていこうと思います。感想、質問などぜひお寄せ下さい。
10/11 Max/MSPとは?読むだけで使いたくなる解説
10/12 音楽史〜現代アート・現代音楽はなぜ生まれたか〜
10/13 MIDIとデジタルオーディオは何が違う?
10/14 「楽典」を知識としてではなく実感するために
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みなさん「現代音楽」を聞いた事があるでしょうか。聞いたことがある方は、「理解できない音楽」であるとか「メロディーがあるようなないような不快な音楽」などといった、あまり良いイメージを持っている方は少ないかもしれません。
理解されない理由の一つが、現代音楽においては「無調」の音楽がつくられることが多いということにあります。「無調音楽」の対義語は「調性音楽」です。普通に耳にすることが多い音楽(クラシック音楽、ポップスなど)が「調性音楽」です。「無調」の意味については後で触れるとして、調性音楽の話を進めたいと思います。
例えばギターでビートルズの曲を弾くと、「この曲はキーが"E"」という様な言い方をします。クラシックでも「ベートーヴェン交響曲第9番"ニ短調"」などと言います。この「調(キー)」という概念が音楽の中での対比を作る役目を担っています。
芸術においては何かを表現するために「対比」が必要になります。対比をすることによって「緊張感」が生まれ、聴衆はそれにひきつけられるのです。緊張をすると、「緩和したい」と思うのが心理で、それを求めるから、その曲を「聞きたい」という気持ちが生まれる、という仕組みになっています。
小学校の時、お辞儀の音楽(3つの和音)がありましたよね?
「チャーン(気をつけ)・チャーン(礼をする)・チャーン(戻して気をつけ)」
聞いてみましょう-1
1つめの和音が鳴り、2つめの和音が響いた後に…
3つめの和音がいつまでも鳴らなかったら!
聞いてみましょう-2
3つめの和音を聞きたくてしょうがない衝動にかられるでしょう。
聞いてみましょう-3
解決したときの得も言われぬ安心感を感じられるでしょうか。これが音で表される緊張と緩和です。これが複雑に絡み合い、音楽になります。
音楽の歴史は、この「緊張感」を追い求めていく歴史とも言えます。では、「現代」という時代に流れ着くまでの、おおまかな流れをこれから説明します。
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<18世紀後半〜>
芸術作品には、その当時の生活スタイルが作品に反映される場合が多いです。例えばW.A.モーツァルトの音楽は、その当時の人たちの生活サイクルである、
朝は安心できる「家」で起き、昼は「仕事場」に出かけて緊張をし、夜また安心できる「家」に戻ってくる。
という「家」と「仕事場」という対比が、曲にも表されています。有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(セレナーデ第13番ト長調K.525第1楽章)を聞くと、曲を大きく「A-B-A'」と分けることができます。(最初のAは繰り返しをするので、「A-A-B-A'」)
聞いてみましょう-4(YouTube)
Bの部分がどこだかわかりますか?3分28秒以降ですね。ちょっと暗い感じでどこへ行き着くかわからないような部分がBの部分です。曲全体としてはほんの少しですね。これが当時の「緊張」の部分です。4分0秒からまたAに戻ってきます。
でも、今の我々は意識して聞かないと、このB部が緊張の部分であるということがわからないと思います。我々の耳はモーツァルトの音楽を単なるBGMとして聞けるようになってしまっているのです。(参照したYouTubeの映像は随分わかりやすく抑揚をつけた演奏です)。
それはなぜかというと、時代が下ってくると、例えば皆が皆、家のある生活をしているわけでもなくなってきたりして、A-B-Aのような単純な形式に当てはまらなくなってきます。また、慣れによって緊張して聞けていたものが、だんだんと普通になってきてしまうのです。そして、さらなる緊張を求めて作品を作り続けます。この衝動により、歴史が動きます。
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<19世紀後半〜>
モーリス・ラヴェルのバレエ音楽「ボレロ」は聞いたことがあると思います。
「タン・タタタ/タン・タタタ/タン・タン、
タン・タタタ/タン・タタタ/タタタタタタ」
というリズムに、2パターンのメロディがずっと続いて行く音楽です。それだけを、なんと15分間も続けることによって、緊張感を最後まで持続して行くという、聴衆をじらして、じらして、じらし倒す音楽です。
聞いてみましょう-5 Part1(YouTube)
聞いてみましょう-5 Part2(YouTube)
カラヤン指揮の映像です。途中で切れて2分割なのが残念ですが、冒頭の緊張感のすさまじさがこの曲の全てを物語っています。後半の、最後までのクレッシェンドが、ものすごい効果的に聞こえるのがわかります。まだ大きくなるのか、まだ大きくなるのか、と、ものすごい緊張感を抱かせ、華々しく終わります。(ボレロは1928年に作曲されているので年としては20世紀ですが、調性音楽なので19世紀の音楽に分類しました。)
ただし、モーツァルトのようなわかりやすい感じとは性質が違うことは、聞いて理解していただけると思います。
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<20世紀>
音楽における「調」の概念は、作曲家にとって信じられる「神」に等しいものでした。
19世紀末に発表されたニーチェの論文『ツァラトストラはかく語りき』に出てくる「神は死んだ」という有名な言葉があります。ここまで時代が下ってくると、音楽は「調性」で緊張感を生み出し表現することに限界がきていました。しかし調性は「神」という認識でしたから、作曲家は率先してそれに目を向けることはできませんでした。
そこに、ニーチェが先んじて発した「神は死んだ」という言葉がその状況を払拭し、新たな方向性に気づかせてくれます。これは音楽に限らず、美術・文学など芸術全般に言える事で、現代アートの発端と言っても過言ではないでしょう。
そして、20世紀に入りいよいよ作曲家は「調性」を脱ぎ捨て、さらなる刺激を求め、「無調」の曲生み出すようになります。ちなみに「無調」という言葉は「調が無い」という意味であり、「一本調子で無調」という意味ではないのでご注意を。
音楽では「調性音楽」から「無調音楽」へ。美術では「写実的」なものから「抽象的」なものへ(例:ピカソの作品)。文学では、主人公が「名高いヒーロー」から、「どこにでもいる普通の人」になったり(例:フランツ・カフカ『変身』。しかもハッピーエンドではない)などと、神(常識・定石)とも言えるものを打ち壊し、神の為ではなく、「何か」の為に表現・創作をする必要が出て来たのです。
「何か」とは何なのか、それは創作者それぞれの思うところなのです。皆が同じ何か(=神のようなもの)のために創作をするという必要、必然性がこの現代にはなくなってしまいました。
しかし、今も昔も変わっていない事は、「目的」があって作品をつくる、ということです。その「目的」が聴衆にわかる音楽、それが「良い作品」と言われるのです。…万人に認識される「美しさ」はあとからついてくるのです。
当然ですが、モーツァルトやベートーヴェンの音楽が「現代音楽」であった時代があったわけです。例えば、ベートーヴェン「交響曲第9番」は全4楽章からなりますが、第4楽章は当時難解すぎて、再演の際演奏されなかった、という逸話があります。現在ではその第4楽章を聞いても何も不思議に思わないし、美しいと感じることができると思います。
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とはいっても…せっかくですから「現代音楽」を楽しみたいですよね?
現代という時代になって、調性を脱ぎ捨てた作曲家は、それにかわるものがないかと、いろいろなことを考えました。例えば楽器の奏法であったり、作品という概念についてであったり、と様々ですが、共通しておおまかに言えることといえば「音の響きそのもの」に関心がうつった、という事でしょう。
だから、現代音楽を聴く際は、「音楽にはメロディーがある」とか「規則正しいリズムに乗っ取っている」などといった固定観念を全て排除し、音の響きそのものをきくようにしてみてください。また、その曲の特徴的なものを一つみつけて、それを追っていってください。これだけで、随分と楽しめるようになると思います。
では、現代音楽の作品を紹介したいと思います。私が好きで、かつ、わかりやすく面白い曲を出します。
・エドガー・ヴァレーズ作曲「イオニザシオン(電離)」(1931年)
聞いてみましょう-6(YouTube)
西洋音楽史上初めてのパーカッション・アンサンブル曲です。「音の響き」が考えられるようになったからこそ、打楽器だけの音楽が生まれたのです。グチャグチャに演奏しているように見えるかもしれませんが、とても計算しつくされています。特徴的な「タカタカタッ」というリズムだけでも追ってみると面白いと思います。
・ルチアーノ・ベリオ作曲「セクエンツァIII」(1965年)
聞いてみましょう-7(YouTube)
セクエンツァ・シリーズは楽器の奏法の限界に挑戦した曲集です。楽器が奏でられる響きの可能性を広げるために作曲されました。その3曲目であるこの曲は女声のために書かれています。「歌う」という固定観念を取り払って、喋ったり咳をしたりと、音色の追求なのです。歌っているのは、夫人のキャシー・バーベリアンです。
また、電子音楽・コンピュータ音楽という手法も、新しい「音の響き」を求めていた作曲家の目にとまったことにより、可能性が模索されるようになったのです。
・「DApendulum」
聞いてください(YouTube)
手前味噌で大変恐縮ですが、私が作ったコンピュータ音楽作品です。こんなところに並べていい作品ではないのですが…。フルートとMax/MSPとオブジェのための作品です。デジタル機器に支配されている世の中に警鐘を鳴らそうと、吊されたノートパソコンを揺さぶるオブジェの動きをきっかけに、奏でるフルートの音が音響処理されていく、実験的な作品です。詳しくは10/15に書く予定です。
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現代音楽を聴く機会がありましたら、ぜひこれらのことを思い出してくださいね。
もうひとつ、書き加えなければいけないことは、このお話は「西洋」という一地域の音楽の歴史であるということです。別の地域では独自の歴史が流れています。
歴史を学ぼうとするときは、まず「大まかな歴史の移り変わり」と、「なぜ歴史が動いたか」という観点で勉強すると、すんなり理解できます。「現在の状況は、過去にどういうことがあったからなのか」を知ることも楽しいです。大まかにつかんだ後、詳しく勉強しましょう。細部から勉強してしまうと関連がわかりにくくなります。音大生ブログRankingに投票!
明日は、「MIDIとデジタルオーディオは何が違う?」と題して、「音とは何か」に触れつつ、書きつづってみたいと思います。お楽しみに
河合達人
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あとがき(閉じていますので、「続きを読む」をクリックしてご覧下さい)
この解説は、クラシックのコンサートによく行く方で、現代曲がよくわからない…とか、現代アート(美術の「抽象画」とか、演劇の「不条理劇」など)がよく わからない、という思いを持っている人のために書きました。また、10/11に説明した「コンピュータ音楽」が音楽史の流れの中でどこに位置づけされてい るのかも説明したかった点です。
「緊張感」と「音の響き」というキーワードが印象に残っていれば、嬉しく思います。
私は、中学校・高校と自己流で作曲をしてきました。自己流ではテクニックの限界にぶちあたろうかとしていたその時、大学で現代の「無調」という考え方を知ったとき、大変ショックを受けました。
先生から「自由になりなさい。固定観念を全て捨てて、あなたの音楽を聴かせてください」と言われました。「こうしなければいけない」というような定石を排除し行う作曲は「自由」ですが、それと同時に「責任」の本当の意味を知りました。つまり、頼れるものがないので、「自分を信じて」、自分が良いと思うものを生み出さなければならない辛さです。私の中で、「自由と責任」という言葉が大学生活の中で一番のキーワードになりました。
参考までに、こちらの記事をご覧下さい。これは、別ブログにおいて、私が書いた記事です。オープンキャンパスの際に高校生に向けて喋った「自由と責任」のお話です。
新大グルメナビ「新入生へのメッセージPart2」(2008/3/28)
歴史の勉強は現在の我々の立ち位置を確認するため、そしてこれから先にどう時代が動いていくかを予測するためのものです。歴史を「過去のもの」としてでなく、「生活のなかに消化できる」ものと理解してしてほしいと思いながら書き記しました。(10/13 河合達人記す)
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