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2008-12-31

「登場人物に動かされるくらいの」他

年末です。今年、書いたけれど、時期的な問題やタイミング的なもので未公開にしていた記事を一挙公開しようと思います(笑)。それではどうぞー!

・「実験中
・「登場人物に動かされるくらいの、
・「ネガポジ
・「中国のペットボトル茶には砂糖が入っているぞ、気をつけろ!
・「BがHになる

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〈実験中〉(7/1)

「冗談は本気でつかなきゃ意味無いんだよ(笑)。」by恩師

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〈登場人物に動かされるくらいの、〉(8/16)

アニメ『プリンセス・チュチュ』(2002年)を全部みたー!

最初は休憩のつもりで1話ずつみてたんだけど、4話のジゼルあたりから、13話の「卵の章」完結までもう止まらなかった。14話からの「雛の章」も素晴らしい緊張感の中、一番良い終わり方をしました。素敵。

この作品は、「ドロッセルマイヤー」さんが書いた本の内容が具現化した世界のお話。ドロッセルマイヤーは実は大昔に死んでいる人なんだけれども、時の狭間からこの世界をずっと見てる。

・・・

僕が感じたことは、この作品には「制作の真理」がつまっているということ。

ドロッセルマイヤーは、物語の中にキャラクターをたてる、そしてそれを動かしていくのが作者としての使命なんだけれども、しばらくして気づくとキャラクターに動かされてるのに気づくんですよね。きっかけを与えただけなのに、それぞれが考えを持ち出して歩き出してしまう。

逆に、勝手に歩き出せるくらいのキャラクターなりきっかけを生み出すことが作者の使命だ、と言うなれば、ドロッセルマイヤーは実は結末はどうなったとしてもよかったんですよ。あと、作者として出来ることは、適度にスパイスを加える(=それを作中では「悲劇」と表現している)ことと、流れを止めないことに限るのです。どちらにしても作者冥利というわけ。それが証拠に最後はドロッセルマイヤーさん笑ってた。

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うちの先生も同じ事を言ってたなぁって。「小説家の友達がいてね、書いてる原稿の登場人物に、たとえば銀行に行かせようとか思うんだけど、”どうしても行かせられない”んだ、って。もちろん銀行に行くことがキーになって話しを進めようと思ってるからそうしたいんだけど、それまでのその登場人物の動きからして、どうしてもその瞬間に行かせることが出来ない、書けない、っていうんだよね。音楽でも同じでね、いきなり登場人物は出てこないんだよ、必然的に流れてくるものから派生しないと、目的や行き先を失ってしまうからね。」

音楽といういろいろな要素からできているものに登場人物を与えるということは、文字であらわすよりもぼんやりとはしてしまうけれど、たとえば僕はリズムにとても興味があるので、物語でいうところの登場人物は「音形(リズム)」と考え、それを最初は動かしてく。そのうち、それを動かそうと思うんだけど、「あぁ、まだこいつ動きたくないって言ってるなぁ」とか不思議と思う。そういうときは多分曲として成功してるとき。それを聞こうとしないで、「こうやりたいんだから」って動かしてしまうと、多分まだそれは時が熟してないんだ。

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「時間」(=物語であれば、「気持ちの変化」とも言える)を扱う作品にとって、それが熟すのを待つのが作者の役割、ということが、全編を通してとても感じるこの作品の一番の核だと思う。象徴的に思ったのは最終話で「ふぁきあ」が筆をとりながら、「カラスの動きをとめられない!」という言葉。カラスに徹底的にぼろぼろにされていくあひるを描ききらないと、次の「あひるの光に救われる街の人たち」が生きないから。「書けない」と悩んで、「書かされてしまう!」とふるえる姿は、素直な心そのもの。「あ、こんなんで良いんじゃない」って書けちゃう方がよっぽど罪なのですよ。

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大学に入る前に見たかったな。多分、今とは全然違う見方をすると思うから。でも、この作品は物語を書く人も音楽を書く人もぜひ見た方が良いと思う。この真理は実感する必要があると思います。

筋そのものを楽しむんだったら、「プリンセス・チュチュは光のつぶになっちゃうの?」「大鴉は封印できるの?」とか、あとドロッセルマイヤーがとても悪人に見えることでしょうね。そういう見方でない場合は、僕みたいに、ドロッセルマイヤーの言動(作者としての心のうごき)の描写にとても興味がわくわけ で。最後の「希望」というキーワードにドロッセルマイヤー自信が驚いているわけですが、これもとても象徴的。書き始めたときと、書いていった先の方向がいつの間にか変わってる、だけどそれは登場人物の声を聞いて動かすべき時に動かした先がそれであれば、それは必然であって、「ああ、俺こんなこと書きたかったんだ」って後から気づく。

この作品の世界観がとても僕の創作観と合致していたので、とても面白かったです。

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音楽的なことを書くとすれば、現代バレエが取り上げられていない、という点が面白いと思いますね。僕はストラヴィンスキーの「春の祭典」とか大好きなんですけど、現代曲はBGMにできるほど、まだ我々に耳慣れていないから難しいでしょうね。

ネコ先生が「ニャジンスキー」って言ってた小ネタが一番面白かったかな。「ニジンスキー」ですね、現代バレエを開拓した振り付け師かつダンサー。

クラシックバレエを習っていた小学校の頃はもちろん、それが芸術的ななにかであるとかそんなことは全然わからなくて、体を動かす練習だと思ってまし た。ただ、同じく習っていたピアノとバレエを比較したり、共通点を見つけたりして、その歳なりに考えていたとは思いますが、こうやって両方客観的に見られるようになったのは、良いことなのか悪いことなのか…。

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〈ネガポジ〉(8/18)

写真の話じゃなくて、「ネガティブ」「ポジティブ」という性格(考え方)のお話。

ポジティブな人、ネガティブな人っているけれども、「自分はポジティブです」と語る、”超ポジティブ”な人っていうのがいます。ポジティブだ、という宣言をすることによる、考えることの放棄・”どうにかなるさ”精神は、あきらかに”超”ポジティブで、そう、ポジティブを”超えた”先にあるのは、めぐりめぐってネガティブなのです。

ポジティブとは本来、超ネガティブのはず。ネガティブとは、動物の危険を回避する本能のことで、人間でも誰でも持っているもの。ただ、人間は考えること・想像することで「危機感」を覚えることが出来るから、それを制御することができる、それがポジティブということなのです。

考えること・想像することを放棄してしまえば、本能(=いつもどおり)な判断になってしまい、人間らしい生き方でなくなってしまう。カンとかムシの知らせっていうのは、あくまでも経験をふまえた無意識な思考の結果(=直観)だから、本能とは違う。

え、いつもどおりじゃ何がいけないの? という考えはとても惜しくて、今まで考えつかなかった(想像しえなかった)危機を見つけられたとき、そこに新しい大きな自分になれるチャンスがあるから、それをつかみたいじゃない。

正しい直観を使えるように、想像しうる危機を察知する能力に長けつつ、それを制御できる「超ネガティブ」な人間を目指したい。

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〈中国のペットボトル茶には砂糖が入っているぞ、気をつけろ!〉(12/2)

OTL=囧   囧rz

交流した向こうの大学生に教えて貰いました。表形文字がめぐりめぐって別のものを表形するという・・・w

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〈BがHになる〉(12/24)

今年3月に楽語.comをリニューアルしてから、「赤羽龍登」名義を使い始めたんですが、あんまりうまく仕分けされてないなぁと思ってまして。来年3月までに、楽語.comを楽典・楽語ゴロだけの教材サイトに特化させて、僕の音楽とか映像とかは完全に分離させようと思ってます。

中・高で作曲してきた曲は、大半は公開終了させて、名前も赤羽龍登に付け直そうかと、もう本名出す必要もないだろうし。

今、赤羽(Akabane)と読んでいただいてますが、赤羽(Akahane)にしようかとも思います。サイトタイトルは「BがHになる」とかどーよw 「バネ」よりも「ハネ」のほうが軽くて明るい感じするし。♪音大生ブログRankingに投票!

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