怖いこと
怖いことは、
卒業できないことやオーディションにうからないことじゃないんじゃないかな。
相談にのっていて、ふと思ったこと。
結果気にすると本質見失うよ。
「自分が、その場でやりきれない」、それが一番怖いことじゃないの。
自分が自分でいられるように、
その日その時の自分がそこにいられるように、
もっと頑張りな。
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怖いことは、
卒業できないことやオーディションにうからないことじゃないんじゃないかな。
相談にのっていて、ふと思ったこと。
結果気にすると本質見失うよ。
「自分が、その場でやりきれない」、それが一番怖いことじゃないの。
自分が自分でいられるように、
その日その時の自分がそこにいられるように、
もっと頑張りな。
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昨日(日付的には一昨日6/6)、僕らは音楽を奏でに行きました。
相変わらず僕は舌っ足らずで、撮ってもらったビデオを見返して、自分のMCで言いたかったことが中途半端にしかみなさんに伝わってないだろうなって思ったんで、ここで付け加えておこうっと(誰が見ているわけでもないとは思うんだけど汗)。
・・・
「音楽」という言葉は、「音」を「楽しむ」と漢字で書きますが、本来はそういう意味ではなく、「音」という字にも「楽」という字にも、「音楽」という意味が含まれているのです。だから、きっと音と音が重なり合っていくものが音楽なのではないかなと思うわけです。一人よりも二人で、二人よりもみんなで音を重ね合わせて、音楽を大きくできる時間を生み出すことができれば、作曲者冥利です。
・・・
僕自身、自分の考えを文字に起こすことは結構得意なのですが、しゃべりでその場で本当に言いたいことの核心を言うのが苦手です。だからこそ、それを音楽に託している訳ですけれども。
舌っ足らずな僕ですが、昨日の演奏はそれを伝える良い音楽を奏でられたと思います。飾らずに純粋にその日の僕らがそこにいられたことがとても嬉しかったです。
今日の音楽に合わせて
僕らの今日をちゃんと踊ろう
どんな曲が聞こえてくるだろう
心に耳を澄まして
今日の音楽に合わせて
僕らの今日をちゃんと踊ろう
静かに音楽が止まったら
おじぎも忘れずにDance with me./槇原敬之
「今日」は、過去から積み上げてきた「今日」である以上に、そうでありたい「未来」をかなえるための「今日」でありたいと思います。
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ブログも本家サイトもアクセス解析をしておりまして、よくどんなキーワードで飛んできたかを見ます。「自殺 楽」とかいうキーワードとかを見ると本当心が痛くなりますよね。どんな検索結果になるのかタイトルだけ出して見てみると、「自殺は楽じゃない」というパターンか「楽に自殺できる方法を教えてください」という記事が半々ぐらいに見えました。自殺とか本当やめてください。ちなみに僕の所にひっかかるのは「松岡農水相の自殺」について書いた記事がヒットするようです。
「室蘭 ボルタ テーマソング」というキーワードはなかなか面白いと思います。これ、需要があるってことですか?曲、書きますよw
テーマソングつながりで、自分のお仕事紹介。11月に大学内で、学生と留学生が一緒になって双方向な音楽祭をやろうという動きがあって、そこの実行委員会から、そのテーマソングを書かないか、と持ちかけてくださいました。歌詞は学生と留学生がつくり、それに曲をつけるというような感じだそうで。テーマソング作曲とか十八番ですからねwがんばりますよ。
・今までのテーマソングの例・・・
西区DEアートテーマソング「あつまる、ひろまる」
みやび展。テーマソング
ドキュメンタリー映像作品オープニング「fallin'」
短い曲ばっかだな。みんなで歌える、共感できる、曲がかければいいですね。
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月曜はドラムレッスン。厳しい先生なんだけれども、すごくほめてくださる先生で、調子に乗ってやっています(笑)。
基本的なスティッキングの練習からはじまり、ロールの練習をして、バスドラムの練習をして、で実際のリズムパターンを叩くという流れなんだけれども、今回はリズムパターンが新しい課題が出ててまだこなれていなかったので先生にタイトルの通り言われました。
「音楽を読むな、音楽を奏でろ!」
あ、ちなみに米国の先生なので、英語で言われるんですけどね。
そうだよなぁ、って思って。何か余裕が無くなってしまうと、字面ばっかり追っかけてしまう。勉強とか事務仕事とかは、追っかけているだけでもこなせられればそれでいいんだけれど、音楽はそうはいかないんだ。そこが面白いところであり難しいところ。
"Don't read music, Play music!"
そう言われながら、僕はこう言われているように思えた。
"Don't read your life, Play your life!"
明日は訪問コンサート。創作することにかまけて、演奏することを忘れないように。今の僕の音楽を全身で奏でよう。
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ふと、昔の何気ないことを思い出したりすることがあるじゃないですか。あれって何なんでしょうね。今考えていることと全く関係ないのに、なぜ出てくるの?脳って本当不思議なもので。
さっきふと思い出したのは、中学時代の「騒音測定器」のこと。小中学校の頃って、”あいさつをしっかりしましょう”みたいなのがあるじゃないですか。それで、授業の最初と最後の挨拶もしっかりやろうということで、担任の先生が持ち出したのが「騒音測定器」。みんな声を合わせて100dB(40人みんなでかなりの大声で言うと示します)以上の数値を示さなかったらやりなおす、というルールで意識付けの為に数ヶ月やってた気がします。
そういえば、お店屋さんでの「距離感」みたいな話を、この前こっちのブログに書いたんだけれど、小中学生はそういうのはわからないから「とりあえず大きな声で言いましょう!」とか「大きな声で歌いましょう!」みたいな指導をするじゃないですか。腹から大きな声をだすなんてしょっちゅうすることもないし、できるのは小中学生の頃くらいだし、あながち間違った指導法ではいないとは思うのですけれど、僕は中学校の時に担任の先生が「デシベル計を使う」って言い出したときに、何となく「嫌だなぁ」と思ったんですよね。
基本的に僕は先生大好き人間なんですけど(笑)、その担任の先生も大好きな先生だったんですけれど(すこし変わった先生ではありましたが、すごく理念がしっかりしてて尊敬できる先生でした)、それでも「嫌だ」と思ったのはなぜなのか。
やっぱりそれは音の「距離感」(なんで狭い教室でがならなければいけないんだ!)とか、「心」(声の大きさよりも気持ちの大きさだろ!)とか、生意気にも思っていたからだと思います。
「(日直:)きりーつ、きをつけ、おねがいします!」
「(全員:)おねがいしまーす!!!」
「(日直:)107dbです」
「(全員:)おー!」
「(日直:)きりーつ、きをつけ、ありがとうございました!」
「(全員:)ありがとーございましたー!!!」
「(日直:)95dbです、やりなおしです」
「(全員:)えー」
「(日直:)きをつけ、ありがとうございま(以下略
今から思うと、あんなにみんなにいっぺんに大声出して気持ちよかったな、なんて思うわけです。それだけの音圧で言われて、どの教科の先生もにこやかだったし、言っている我々がその音圧にある意味酔っているんですよね。そうそう、運動部で練習中に声を出すのと一緒。
「気持ちがあって声を発する」っていうふうに、頭では考えてしまうんだけれど、「音が僕らの気持ちをかえていく(、から声を発する)」の方が自然なのかもしれません。
風はどこから吹いてくるの?という問いと同じように、僕らの「気持ち」はどこからやってくるんでしょう。やはり「無」からは何も生まれなくて、なにかを受け取ったときに、たとえばそれが空気を通して伝わる音であったときに、心が動く、そして、気持ちが生まれる。
そんな自然の不思議を感じられるような、「音」を生み出したいな。
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結局起きれず、1限に行かなかった自分。というか目覚まし鳴ってたのも気づかなかったという大失態。がんばれ自分。
友人が4000円で買ったというラジコンヘリコプターで遊ばせてもらいました。良くできてるんだよなぁ。なかなか操作がむずかしいけれど、ちゃんと飛ぶ。ぶつかってもぶつかっても全然壊れない。プラスチック製ですんごく軽いのね。もちろん、リモコン(赤外線)で飛ぶ。リモコンには単三電池6本入っていて、そこから出ている専用のコードでラジコン側に充電してから飛ばす仕組みなっていて。一回の充電で5〜10分くらい操作できる。下手だからバシバシぶつけちゃってかなりシュールなんだけど、(よくカーレースゲームとかで、縁石にぶつかりまくりながら走れたりするじゃないっすか、あれってもう小さい頃やりながら爆笑だったんだけれど、そんな感じ)久しぶりにそんな感覚を味わえて楽しかった。
・・・
5月下旬に学外で訪問コンサートをすることになりました。毎年病院コンサートをしてるユニット「clover」として。今日はその曲決め。30分強の時間の中に、7曲ほど用意することにしました。「禁じられた遊び」をリクエストされたので、なんと私ギターを手にすることになりました(笑)。1ヶ月特訓です。感覚を思い出さなきゃ。でもこうやって目的を持って演奏の練習をするのは良い気分転換になりそう。
・・・
制作の方はMax/MSP上で楽譜を作成するプログラムを仕組み中。FinaleのKousakuフォントって、なんで臨時記号が音符のと位置ずれてるんだろう。その修正をかけるプログラムを書くのがやっかいだな。あとは小節線はつくらない予定なので臨時記号をつけた際のフォロー(ナチュラルを書かなきゃ行けない場合の対処)をしなければ。
これからの予定(演奏会関連)・・・
5月20日 訪問コンサート
7月10or11日 音楽科研究演奏会
7月22日 音楽科Home Coming Marathon Concert オーディション
8月 2日午後 Home Coming Marathon Concert本番(合格すれば)
8月上旬 作曲セミナー、オープンキャンパス公演
10月〜11月 定期演奏会オーディション
11月 富永草野病院ロビーコンサート
12月12日 定期演奏会(合格すれば)
2月21日 卒業演奏会
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こうやって、なにかをやりとげるための、極限の状態の中で、見えた光のようなものを、ひとつひとつプロットして行って、それをあつめることが、創作なのかな、と。
音が僕の周りを取り巻いていて、すこし、頭が痛くなるような、それでもそれが高揚感に感じるような、この感覚を忘れないで、またこの1年をすごしていくんだ。
とりあえず、単位をもう一度数えよう。現時点で、卒業できるはずだし、副専攻の認定もしてもらえるはず。「はず」を「確実」にしないと。
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名刺を渡すということは、ある意味自分の表現なんだな、とふと思った訳です。あの長方形の枠の中にめいいっぱい自分自身を表現することが求められる訳で。
「楽語.com」にアクセスしてくださる方は、どんなキーワードで飛んでこられるのか、アクセス解析をしておりますが、その中に「音楽の名刺」というものがあって、すごく言葉の響きがいいなと思いまして。
このキーワードをググると、面白いブログの記事が。
「too high:iTunes Signature Maker:名刺代わりの音楽ファイルを生成」
iTunesに入ってる曲たちをつなぎ合わせて曲にしてしまおうというものですね。こういうことがもう数年前に行われているということが何よりもくやしい!と思う瞬間であります、コンピュータを扱う音楽を勉強している上で。
自分を表す「音楽の名刺」をつくるとしたら、どうなるんだろう。と想像してみると、まず、名刺だから短い時間で端的にとなって、その人となりを表す…となるとなかなかむずかしいな、と思う訳です。その人の一端、その人の感情をあらわすことくらいしか出来ない気がします、短い時間では。やはり、音楽には時間が必要で深く何かを表そうとすればする程時間は必要で。それを限られた時間の中に埋め込むという考え方が、高校の頃までは自分の中では美学でしたが、それは商業主義的な考え方で、あくまでもアカデミックに行こうとすれば(アカデミックだからというわけではなく、本当に自分の表したいものを外にだそうとしたら)、時間が必要なんですよね。
そうか、名刺は社会に出た時に使う、商売道具。音楽の名刺がサウンドロゴだとしたら、それは商業的なものなんだろうな。そういえば、2006年の8月末から9月の頭にかけて、1日1曲サウンドロゴをつくるってことをしてみたんです。もう2年も前のことなのね。11日間続けたんですけど、この11曲が、あの時点での僕の音楽の名刺なんじゃないかなって、今は思います。その11曲を持って、広告代理店にアポ無しで乗り込んだ時点でそうだったんだな(汗)。
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ボーボボを全巻そろえてしまいました(笑)。帰省する際の列車で新説最終3巻(5、6、7巻)を読み終えました。実は新刊で買ったのはこの3冊だけで、後は全部中古でそろえました(汗)。なんとなく、完結したお話じゃないと集める気にならなくてですね。。。
ボーボボがなぜ好きかというと、展開の新しさが好きだったからですね。ヒーローと仲間と敵の関係のステレオタイプをことごとく破っていったということです。これがすごく新しく目に映る。一見最初はなんだか意味がわからないんだけれど、ずっと見ていると意味が見えてくる。そんな世界観でした。
ただ、それを作者は「ハジケ」だと言葉で表現してしまっています。僕としては、それは出さなくてよかったのではないか、と思います。あくまでも少年誌(ジャンプ)の作品だから、言葉に置き換えて分かりやすくする必要があったのかもしれないけれど。この「ハジケ」というキーワードを出してしまうと、そこで完結してしまって、それ以上の想像力がかきたてられないのです。出てこない方が、なんだか分からないんだけれど、感覚的に分かる世界に引き込むことができたと思います。
次の澤井先生の作品がとても楽しみです。
・・・
未完の作品で集めている漫画は「のだめカンタービレ」だけですね。これも途中まで中古で買いそろえましたが、最近の数巻は新品で買ってます。
のだめの世界感は、同じく音楽科大学生という身分なだけあって、うん、悔しながら(笑)理解出来るところがあって、「うんうん、そうだよね」って思いながらいつも読んでいます。こういうふうに、クラシックを知らない人にも、クラシックに関わっている人たちにも理解と共通認識を持てる作品というのは珍しいのではないでしょうか。
クラシック音楽というのは、敷居が高いものなのでしょうか…多分、その答えは「Yes」なのでしょう。それはどんな音楽であってそう答えるべきであります、それは、どんな音楽に対してもそれに真摯に立ち向かうことは壮絶な努力が必要であるからです。
全ての世界にはその道のプロという人たちがいて、それぞれの世界を持っていて、プライドを持っています。その人が何のプロなのかにもよって変わるのですが、特にクラシックの場合は、その歴史の重みを盾に自分がすごく偉いことをしているような感覚をもってしまうことも少なくないのではないでしょうか。
それをもって「敷居が高い」などと言ってはいけないと僕は思うのです。真摯に立ち向かおうとする人たちをのっけから排除する必要はないし、逆に言えば、我々はそういう人たちに「真摯に立ち向かう"道"を見せてあげる」ことをしなければいけないと思います。
私はまだまだ勉強をはじめたばかりの身なので、そんな大それた事はできませんが、その導入は手伝ってあげる事が出来るのではないかなと思うのです。それが「楽語ゴロ」です。作曲家が音楽用語を楽譜に記すということは、そこに書かなければいけない理由があって記されています。きまぐれで書いている訳では決してありません。だからこそ、楽語はその日本語の意味への一次変換だけではなく、本当の意味を理解しなければいけないし、もっともっと奥深いものです。
ですが、意味も分からない、忘れてしまった、覚えていない…では、話にならない訳で。そうならない手助けをしたいという気持ちで「楽語ゴロ」を生み出しました。だから、あくまでも本当に音楽家を目指す人は、この楽語ゴロだけを覚えて浮かれていては行けません。これはあくまでも導入であって、その先の勉強はやはり自分でしていかなければいけないと思うのです。
二ノ宮先生もクラシック音楽への興味関心をひきつける役割を果たされておいでです。だけれども、同じようにこれは"導入"だということです。これだけで、この世界全てをあらわせる訳がない(それは漫画であれ、映画であれ、実際その世界にいる人の話を聞くのでさえそう)、ということです。
情報が氾濫するこの世の中で、本当に大事なのは「自分で感じる」ということだと思います。そして、素直な気持ちでそれを誰かに伝えようとして、誰かのその人自身の体験になるように手助けしてあげる、それがとても重要なことなのだと思っています。
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こんばんは、赤羽龍登です。
NYフィルが北朝鮮で演奏したんですってね。福田総理が「日本にもきてくれないかなぁ」なんてにやつきながら言ってましたが、かなりお金がかかるはずです。外国のオーケストラを呼ぶということが、どれだけ音楽マネジメント業の人たちを悩ませるか、学校で習ったのでなんとなくわかりますけれど、うん、大変なんだそうです。
"オーケストラ外交"か。言ったもんだなぁ。ずいぶん分かりやすそうな曲を演奏してましたね。
芸術…特に音楽は、もともと抽象的なものだから、政治やら宗教やらに利用されやすいものですね。抽象画や具象画はあっても、抽象音楽・具象音楽っていうものはないですからね。ですから、「シュールな音楽」というのも成立しないわけですが、こういうふうに利用されている音楽は、僕は、シュールな音楽に見えます。
・・・
楽語.com、おかげ様で昨日は140アクセスありました。音大生のみなさんや、ブログで楽語のことなどについて書いていらっしゃる方のところへ出向いて、コメントなぞさせて頂いておりますので、よろしくお願いします。
そうそう、今日はリニューアルしたサイトを親に見せました。今回のリニューアルはデザイン優先でお年寄りには優しくない文字の大きさになってしまったので(笑)、文字は見にくかった様ですが、Flashの絵をとても気に入ってくれました。「絵としてかざれるよね」って。うん、本当にそう思う。並べて個展(じゃないや、グループ展か)ひらいても良いと思うもんね。
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8時、目覚ましが鳴る。が、二度寝(!)
8時半、ふっと我に返って目が覚める。
9時、バイトへ(!)。危うくボイコットするところだった。
9時半、バイト終了・朝食。
10時、作曲セミナーで発表するMaxプログラムの修正。
11時、友人から電話。電車に乗り遅れたから送ってくれ、ということで「だいしホール」へ。
12時、関屋の原信でビックマックを食らう。
12時半、美術科の卒業制作展(卒展)を見に県民会館へ。裏番組で「タッキー&翼」だったため、館内は混雑。
14時、白山公園に駐車したまま歩いて「だいしホール」へ「近現代 ピアノ音楽の世界」を聞きに。
19時半、とんかつかねこで、「和風カツ丼(卵とじ)」を食す。
・・・
3年めにして初めて美術科の卒展を見に行きました。ポスターにもパンフにもすごくお金がかかってて、さすがだなぁ…というか、これくらいやるのが普通だよなぁと思い知らされます。音楽科の演奏会のポスター制作の係をやってるので、ちょっと悔しいですよね。でも、聞いたら本当にお金かかってるらしいですね、そりゃそうですよね。パンフめちゃくちゃ奇麗だもん、これがもらえただけでも嬉しいくらいに。
展示作品については、書かないでおこっと。すごく楽しかったですよ。小さな子どもから大人まで楽しめそうです。会期は明日5時までですから、ぜひ。
だいしホールでの、近現代曲だけのコンサートは本当に刺激的でした。先生のお話もすごく興味をそそるものでした。普通のクラシックしか聞いた事無いひとたちにこれだけの難解な曲たちをどうやって説明するのかというところはとても興味がありました。難解すぎず、でも簡単すぎない説明で、音楽の奥深さを垣間みれる入り口になるようなコンサートでした。
八村義夫の「彼岸花の幻想」が、ものすごく奇麗でした。先生のいう「至福の時」が特に。僕はだいしホールの場合、結構後ろの方(舞台と同じ高さくらいの位置)の左側に座るのですが、今日は開場してから少し時間が経っていたのと、入場無料なのもあって座れず、前の方の左側にすわって先生の手を凝視してました。
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昨日は天気も良く気温も高かったので、阿賀野川をのぼって、ダムを見に。ダムといえば迫力ある人造物の一で、僕はそれを見るとえも言われぬ感覚を覚えます。
特に最近大雨ふった訳でもないし、放水はしていないだろうな、と思いながら出発。でも放水みたいなぁ…だめだったら阿賀野川自体が奇麗だから、よしとするかーと考えながら…
豊実ダム、放水してました!というか、ちょうど放水をはじめたところを見る事が出来ました。最初は門が2つ開いていて、ずっと見ていたら、もう1門開門。「ぐぉっ」という鈍い音とともに、水が流れ出る瞬間を見る事が出来て興奮しました。そのうち、最初に開いていた2門の片方を閉め、また違う1門が開門。そして、上の写真のような3門放水状態へ。(流れているような感じに見えないのが残念)。奥の2門は雪に埋まってますw
ダムの放水の音ってすごく良い。地響きのような低音と、くすんだ高音を含んだノイズが心地よい。多分、距離もちょうど良かったんだろうな。間近で見れば迫力の風景と音だろうけど、少し離れた小高い道の上から覗き込むように見ていたからかな。ちょうど、今期の曲作りにメドがたって、音の気分転換をしたかったから、すごく救われた気がしました。
春になったら奥只見ダムを見に行きたいなーと思っています。
・・・
今期の作曲発表(作曲セミナー)は、2/14(木) 17時から合唱ホールにて。今は、最後の詰めの段階です。今期はコンピュータ(Max/MSP)と生音(混声四部合唱)の曲なので、プログラムをつくるのに時間がかかった分、曲が短くなってしまいましたが、「頑張った分だけ、よくなるから」という先生の言葉を胸に刻んで、最後までこだわり続けます。
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今日、明日と音楽科の研究演奏会が音楽棟内合唱ホールで行われます。僕の出番は今日の18:30くらいかな。
よし、いっちょハジケたりますか!
去年度までは基本的に土日で研究演奏会を行っていましたが、今年からは平日と休日で行こう、というわけで金土なのですが…平日だと学生が沢山見に来る事が出来る分、良いとは思いますが、金曜日っていうのがなんとも。レッスンが金曜なんだよね(爆)
僕は演奏会委員なので、演奏会自体の運営側でもある訳で、なんだかんだでハードです。明日はゆっくり休みたい…と思ったけど、朝9時から「西区DEアート」の中間発表会。ありゃま。
という訳で、今日の本番の模様を公開するのは、早くて明日っていう感じですけれども。お楽しみに。
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「松岡農相が自殺」。もちろん、今日の新聞のトップ記事はこれです。
自殺…。「そうか、人間って自分の命を自分で操作する事が出来たんだ」。
不思議です。僕の感想はこの一言につきるのです。
・・・
この間も書いたように、我々人間はいつも「心」だけで生きているように錯覚しています。でも、意識の及ばないところで「体」はちゃんとメッセージを送り続けています。それを聞こうとしないで、「心閉ざした状態」でいると、どんどん辛く辛くなります。
「心」と「体」の同調、みたいなものを僕は作曲するときにいつも考えていて、意識的にそれを行っています。最近は結構それに慣れてきました。「体」に正直になれば(今回の場合「本能」と言っても良いかもしれませんが)…、自分で命をたつという本能が我々の中にあるでしょうか、ないですよね。だから、不思議なんです。「心」が凄く強く自分に作用して、心閉ざしている証拠だと思います。
誰しも少なからず「自殺したい」と思った事は一度くらいあるんではないでしょうか。でも、それって思春期の時だったりしませんか。「心」が強く作用する思春期にはそういう思いが出て来てしまうのかもしれません。
「なんで自殺なんかしたの!」とか「自殺なんてだめだよ!」、「死ななくたってよかったのに」なんて言う人たちも同じです。心だけで考えて、「自殺は良くない」という理論でそれを片付けようとしています。
政治家という職業は「心閉ざしてないと」できない職業だということはよくわかります。僕は小学生の頃、「心閉ざせる人間が大人だ」と勘違いしてた部分があり、それこそ政治家のような職業に憧れていた頃もありました。だから、中学校では生徒会長をしてた時も、「理想の会長像」を維持するために、心を閉ざす事を徹底していました。でも、だからって「閉ざしたままで良い」という結論にはなりません。
気づいたんです。心閉ざしていると、本当の自分の声みたいなものは相手に届かない、と。中学校の卒業式後に、ある友人が「音楽の道に進むのもいいけど、政治家になれよ」と言ってくれたヤツが居ました。が、断固拒否します(笑)。いつも心閉ざしてないとできない職業に今の僕の理想像はみえないからです。
・・・
松岡農相は心が強すぎました。少しでも、ほんの少しだけでも自分の「体」からのメッセージを聞く事が出来れば、自殺なんていう考えには及ばなかったと思います。本当に残念です。
ZARDの坂井泉水さんも、一部では自殺報道されていますが、そうではなかった(事故だった)と信じたいです。同じ音楽家として。
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僕は高校1年生になるまで自分の血液型を知りませんでした。だから、「何の血液型がどういうタイプだ」とかいう、ステレオタイプに全く興味がありませんでしたし、それがために、自分の血液型を知りたいとは思っていませんでした。
でも、なぜ高1の時に知る事になったのかというと、きっかけは、高1年の時になった「腸炎」でした。今から思えば、あれは登校拒否が体に現れた症状でした。…僕は中学校の時の環境がとても気に入っていて、それまで何度も引っ越しをして来た中で、一番「引っ越したくない」と思っていたんです。
中学校と高校という全くちがう社会に入った事はもちろんのこと、それ以上に静岡(磐田)と北海道(室蘭)の人の差というものに凄くショックを受けていて、すべてが上手くいかなくて、結局高校という場所が「勉強だけをしに行く学校」と化してしまいました。
環境適応はしやすい方だと自負していたのにそれが全然出来ないし…「引っ越したくない」と強く思っていた時点で、僕は『守り』に入ってしまっていたんでしょうね。
その頃から僕は、「自分探し」をしていたんだと思います。中学校の頃まで、僕は僕の心に大きな仮面をかぶせて、自分の言いたい事さえも、自分の作ったその仮面に実は言わされていると気づかないまま生きて来て…それに気づかないフリをしながら、正直疲れていました。
自分に正直に向き合いたい。そう素直に思えるようになったんだと思います。だから、自分を形成する要素の一つである「血液型」を知りたい、と思ったのです。
結果はAB+型。ちゃんと、僕自身に「僕」が他の誰でもない何者であるかをわからしめるための、ワンステップとなりました。
・・・
そう言う訳で今は、心を開いて自分の心と対話するための「作曲」を勉強しています。大学の進路を「音楽」と決めた時には、「心を開く事が出来るから音楽をする」という動機では、まったくありませんでしたが、今こうして振り返ってみると、意識の届かないところで、自分が行きたい方向を選んで来たんだなと思えるのです。
我々人間は「心」で考えて行動していると錯覚していますが、実は「体」に動かされている部分も大いにあるということです。腸炎になっちゃったのもそうだしね。勝手に動いて行く「体」に、「心」とのバランスをとりながら、どれだけ素直についていけるか、それがとても重要だと思います。
血液型の「何型がどういうタイプか」というステレオタイプ、僕はそれ、今ではあながち嘘ではないと思っています。ただし、その人の”素が”、という条件付きで。人は、自分の良くない所とかクセを見つめて、自分をどうにでも変える事ができるからです。
だから、「あなた、○型でしょ?」というような表面的な血液型と、実際の血液型が一緒な人は、良い意味でも悪い意味でも「体」に動かされている部分が強く、「心」を開ける人で、逆に「あなた、何型かよくわからない」という人は、「心」が強く「仮面」をつくるのが上手い人なんだろうな、と思うのです。
音楽科は…見る限り、表面的な血液型と実際の血液型が同一の人が多いよね。みんな、わかりやすい!心が開いている証拠なんじゃないかな。
・・・
・・・
免許取得後、初オートマ車の運転をしました。祖父母の車ですね。2000ccのノア。車高が高いので見晴らしが良いですし、運転楽ですねー。みんながオートマ車にしたくなる気持ちも分かります。
祖父の代わりに僕が運転して新潟〜柏崎の海岸線を往復。高齢者マークと初心者マーク両方つけた上の「室蘭ナンバー」ですから、意味は「超安全運転宣言」ですw
高齢者で初心者って現実に居るのかな?音大生ブログランキング♪
祖父母とは夕方別れて、青森に向かって走るそうです。海が荒れて新潟からフェリー乗るの嫌なんだって。この後、自分のカリブに乗りましたが、「低っ!」と思ったのは言うまでもなく。どっちも悪くはないのよね。
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西区DEアートの企画、「Non Stage Theater」での僕の音楽科としてのアプローチは、地域に根ざした音楽を劇のBGMにすることを考えています。さて、地域に根ざした音楽とは?
お祭りの音楽…という答えは結構ありきたりかなと。僕は、校歌を取り上げたいと思っています。その地区にある小学校・中学校の校歌は、現在その学校に通っている学生から卒業した年配の方まで幅広い層で共通にわかる音楽であり、校歌という性質上、思い入れが深いものだと思います。
それをアレンジしてBGMにする。少し乱暴かもしれませんが、チャレンジしようと思っています(ちなみに、我が母校磐田第一中学校の校歌をアレンジしたものアリ。もう一年前か。)
・・・
僕の出身中学校には応援団がありました。一年生は入学すると、応援団の校歌・応援歌指導を受けるのです。帰りの会の途中で3年生のイカツイ男7人ほどに教室の前後を囲まれ、歌わされる。恐怖でしたが、我が中学校の応援団は機能していたと思います。機能していた、というのは「お飾り」状態ではなかったということ。本当の意味での学校の厳しさというか、本当の意味での教育なのかなと、今では思う事が出来るのです。
機能していなかったのは、僕の出身高校の応援団です。学校祭や壮行会になると出てくる「お飾り」だけの存在でした。しかも、一年で入学すると、恐怖の中、校歌を含め9曲もの学校の歌の歌詞を覚えてこいと言われたかと思えば、結局、応援団の前で歌う時には歌詞を見ても良いとか言いだす訳のわからなさ。そう、中途半端なんだよね。
・・・
美しくないんです、中途半端って。例えば、「なぐるぞ!」って怒鳴りながらも、その手に力が入ってなかったら怖くないでしょ?「好きです」って凄く感情をこめて言っていても、鼻をほじりながらだったら嫌でしょ?そんな人見たくないじゃないですか(それはそれで見たい気がするがw)。それと同じ事なんです。
これは、芸術作品においても同じ事です。中途半端は美しくない、やるところまでやらないと、その感情を与える事ができない。
・・・
この考え方は芸術家の性格にも顕著に現れると思います。自分がやりたいことという一本の芯を曲げないことを貫くために、他人を攻撃してでもそれを守り抜くことそのものが、その芸術家の作品の一部となっている気がします。
僕は、そういう人をアーティストとしては大いに尊敬しますが、人間的にはどうなのかなと思います。
逆に、僕が僕の中の芯を貫こうとすればするほど、人間的にはイヤなヤツになっていくということ。「そんな自分はいやだ!」と思ってこれまでやってきたけれど、どうやら、”人間として尊敬もされるし、アーティストとしても尊敬される”なんていう理想の地点はないようだ、と最近気づけました。
なんだか気が楽になった気がします。そんな中途半端な理想の地点がないなら、どちらかをとことん追求すればいい。それが、今の僕の思う美しさです。
・・・
Wiiが届きました(バカちゃんぴおん最優秀作品の賞品)。が、ソフトがありません(笑)。来月にでも何かソフトを買おうと思います。でも画面に向けてリモコン操作できるのは確認しました、ちょっと感動です。ちなみに、ゲーム機を持つのはスーファミ以来なのです、僕。パソコンを買ってもらったおかげでゲームしなくなりましたから。最近のゲーム機はパソコン化してますよね、USB端子ついてるし。でも、その割にはAV端子が専用コネクタだったり、ようわからんなぁ。
ちゃんと遊んだらまた感想をつらつら書こうと思います。
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「やべー、この和音、超気持ちいい、この進行も最高、このスリリングさ、久しぶりー絶好調ー俺って天才だー!」
良い時の僕はこんな脳内テンションで作曲してます(爆)。ただ悪い時の僕は…
「なんだよこの音符、ぜったいこのリズムはないし、これじゃ効果ないしなぁ…はぁ…」
というガタ落ちよう。そんな両方とも僕だけど、久しぶりに今日は前者の僕がやってきた。
やっぱり、人に必要とされることを僕の心が望んでいるのか、それともまだ認めてもらえていない人に自分を認めさせたいのか、わからないけど、今日はピアノで奏でる和音がとても奇麗に聞こえた。
どーして、こう「心」って単純なんだろうな。こうやって開けばすぐ色んなものが見えてくる。
もう一押しだ。もう一押しで全開に出来る気がする。でもやっぱり扉は重い。ちょうつがいが錆び付いてる感じ。
ムリにぐっと押したらボキっと折れてしまいそうだから、じんわりじんわり動かそうと思う。そう、焦らなくても良いんだ。
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面白いことを発見しました。…よく考えてみれば当たり前の事ですが、でも、面白い。
今、なにげなくひげ剃り(シェーバー)でひげを剃っていました。なかなかそれないひげがあって、ほっぺたのところにシェーバーを押し付けながら、口は半開き。
そしたら!
「ドー♪」
ん?どこからか純音が聞こえてきます。口を少し閉じると、
「ミー♪」
もっと閉じると、
「ソー♪」
面白いです。シェーバーは同じ周期でブルブル震えていますから、その振動がほっぺたに伝わって、口の中が共鳴して音が鳴ったのです。
シェーバーを押しあてるほっぺたの位置でも音のピッチが変わるみたいです。また、「ソー♪」の次の、上の「ドー↑♪」も鳴るみたいですが、シェーバーのモーター音にかき消されてほとんど聞こえません。
ちょっとバカみたいですが、みなさんやってみてくださいw。
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まぁ、特に理由もなく心理テストなんぞをやってみました。
http://www2.netwave.or.jp/~toshi333/
結果は書いてしまうとあれなんで、続きは隠しときますw。
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今日は長岡市にある、新潟県立近代美術館に行き、『東山魁夷と信州の美術展』を見てきました。企画展なだけあって、すごい量の展示がしてありました。見応えありました。
よく思うんですが、美術館で絵を見るときって、どうやってみるのが良いんでしょうか?人それぞれだとは思うのですが、たくさん作品がある場合は、一つ一つを丁寧にみていくと疲れるので、とりあえず、ばーっと一通り入り口から出口まで順番に歩いて、あとから気に入ったものをじっくり見る…というパターンを今日はしてみました。
印象に残ったのは「窓」という作品でした。この絵だけが妙に立体的に見えたんです。人は描かれていないし、ただオーストリアの古い家の壁とドアと窓とベンチがかいてあるだけなんですけれど…
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これまたよく思うのですが、美術館って不思議な空間ですよね。どうやってディスプレイされるかによってそれぞれの絵なり作品の印象が変わってきてしまうと思うのです。自分で個展を開く場合はそういう配置のこだわりを自分の好きなようにできると思いますが、先人の作品をディスプレイするのって、その作家が見たときにどう思うんだろうなぁ、なんて。
僕も(音楽を)創る側の人間として、美術作品を創る側の気持ちがどんなものなのか知りたいって思ってしまう訳です。
音楽は時間軸があるからディスプレイするっていう感じではないですけれども、それをあえて言うとしたら、CD等の”録音媒体”だと思います。曲順はとても重要な要素だし、そのCDに何の曲を収録するのかというのも重要なことだし。
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話は変わりますが、昼食を美術館2階のレストラン「広告塔」で食べました。「焼きカレー(¥920!ちと高い)」を食べました。グラタン皿にお米&カレー&とろけるチーズ&温泉卵が入ってる料理でした。カレーと卵って意外と合いますね。おいしかったですよ。
『東山魁夷と信州の美術展』は21日(水)まで。http://www.lalanet.gr.jp/kinbi/
いつもは月曜休館だそうですが、明日は開いているそうです。
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今日は友人宅に遊びに行きました。国体イメージソング応募曲を聞いてもらいました〜♪家族以外への公開は初ですね(笑)。
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その間、この前書きました、自動車の後ろのワイパーがビミョーに動かない件、祖父がディーラーに行ってなおしてきました。2千円程だったそうです。そんなに高くなくて感心ですね。原因としては、モーターが錆び付いていたそうですよ。
帰省してからほぼ毎日車乗ってますね。とりあえず、室蘭は車がないと移動手段が無い(バスはありますが不便)ので、「外出=車」ですので。決して贅沢をしているわけではありません。
もちろん初心者マーク(自動車学校卒業時に貰った)をつけるわけですが、一つが吸盤タイプ(フロントガラスに貼付け)、もう一つ後方につけているのがマグネット式なので、「盗まれやすいぞ」という父の言葉どおり、駐車する度に剥がして車内にしまってい、そして発進する度に付けています。後方の初心者マークがちゃんとついているかの確認になっていいですね。
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僕はピアノ弾けるからピアノのレコーディングはできるけど、ギターの打ち込み苦手なんだよねぇ〜(弾けないから、よくわからん。)みたいな話をした後、友人が放った格言(?)
『ピアノとギターって犬と猫みたいだね。身近という意味で。』
うまい!本当、そう思うよ。そんな彼のブログへ飛んじゃいな!w
ギターは弾いたことないので、それこそテキトーな打ち込みになってしまっているのが、今の僕の課題。ドラムを習い始めてから、ドラムの打ち込みが変わったように、ギターもやればわかるよなぁ、きっと。ギターやりたいが…時間あるのか、自分!
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国体イメージソングに応募する曲を提出先の先生に渡してもらうため、この曲をうたってもらった歌手の家へCDを郵送。
小雨の中、車を郵便局まで走らせました。…後ろのワイパーが動きません(爆)。
そんなに見えなかった訳ではないので大丈夫でしたが、どうやらガタがきているようです。家に帰り着いてから、祖父がワイパーを持ち上げて、動くようにぐりぐりとまわしてあげたら、動くようになりました(笑)
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応募曲を焼いたCD。太陽誘電の「CD-R for AUDIO」(CDR-A74GP5)を使いました。
この金色のいかにも!っていう感じのCD-Rです。この製品、今回初めて使いました。いつもオーディションとかに応募するときは、一応は安物CD-Rにはしていませんでしたが、ここまで高級品を使った事はありませんでした。といっても、実は貰い物。
友人に自分の音楽を配るときなどは、50枚で2,000円しないほどの安物CD-Rを使っているので、雲泥の差があることになります。
でも、焼いてみてびっくり。音が違うのが分かりました。こっちで焼いたほうが明らかにクリアです。デジタル信号なのに、やっぱり再現性が違うんですね。ってことは、安物CD-Rの時はいい加減に読み取ってるってことなんでしょうか(笑)。
素直におススメします。
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