振り子 -pendulum-
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コンピュータや携帯電話といった、デジタルコミュニケーションツールに囲まれた世代に生まれ、それを使うことを余儀なくされている…と悲観的に感じている人はどれだけの少数派だろうか。特に我々若者の世代で。
私はパソコンを12年間・携帯を7年間使い続けてきた。きっと、普通の人が使うよりパソコン・携帯を酷使してきたし、「それがなければやっていけない」と自発的に好意的に思っていた。だが、人間ある程度行き着くところまでいくと、その反対を欲するようで、デジタル機器に囲まれない生活をしてみたい、という贅沢を考えてしまう私に気づくのである。最近では「それがなければやっていけない」と悲観的に思うようになった。
ならば実行してみればいいじゃないか、と考えてみた。パソコンを開いてWeb閲覧をやめることはできるかもしれない、携帯を持ち歩かないで音信不通になれるかもしれない。ああ、私の場合それはできるかもしれない。だけれども、私が抱える一番の問題は、自分の音楽が「コンピュータ音楽」であるということである。使いたくないコンピュータを使わなければ自分の音楽ができない、ということがひねくれた問題であり、皮肉である。
今ならギタリストであるジミ・ヘンドリックスがギターに火を着けた気持ちが分かるような気がする。デジタル機器との関わりを絶つことの出来ない私は、自分への戒めとして、ノートパソコン・携帯を物理的に”つるし上げ”、"揺さぶる"ことで、それを表現しようと思った(写真参照)。
このオブジェをつくりながら気づいたことがある。
少なからず数年後には、大半の人が「悲観的な」デジタル機器への関わりを感じはじめることだろう。私のように「コンピュータ音楽」について悩む人はいないだろうから、その多くは、デジタルコミュニケーションの飽和によるものだと思う。
mixiをはじめとしたSNS、Web2.0の立役者であるブログ、メールによるコミュニケーション、モバイル端末の普及と技術発展によるネットアクセスの簡便・高速化。文字ベースのコミュニケーションから、画像・動画などのよりリアル(に感じられるよう)なコミュニケーションへ。
しかし、デジタルはいくら技術が進歩し続けても、デジタルの域は超えられない。やはり、リアルではないのである。それはもうみんな薄々気づいているのだ。ただ、気づかないふりをして、行き着くところまで行くだろう。そして、それが飽和状態になってどうしようもなくなったとき、デジタルを超えるデジタルが初めて認知される、それは「アナログ」である。
ここで言う「アナログ」とは「超デジタル」である。現在、デジタルと対になって、かつ見下されて考えられている「反デジタル」のアナログとは違う。未だIT革命の余波に浸っていたり、デジタル神話を信じてやまない人は到底これを実感として感じられないだろが、数年後の飽和状態になった後に認知される「アナログ」は、デジタルよりもいいものと認知され、アナログとデジタルの立場が逆転するのである。そうか、そうなると「デジタルとは、アナログを表現するツール」と胸をはって言えることになる。そして、ここでまたいろいろ気づくことが出来るのだ。
まず、なぜ自分がパソコンや携帯をつるし上げようと思ったのかが分かった。これは、アナログを軽んじていた私への戒めであり、デジタルを皮肉に扱うことでのアナログ優位性を示すためのオブジェである。
また、自分で言うのも何だけれど、同じ学年の中で一番コンピュータを扱うことが出来た自分が、どうして工学部などのコンピュータを専門に取り扱う分野に進まず、音楽に方向を向けたのか、が分かった。この選択をしたのは高校2年生の時だ。工学部に進もうと漠然と思っていたのだが、それがどうしても嫌になったのだ。そのときなぜそう思ったのか自分でも分からなかった理由は、今この考えにあると思う。コンピュータを専門にしてしまえば、デジタル神話への荷担をしてしまうことになる、それが嫌になると薄々気づいていたのだと思う。でも、そのときはデジタル機器大好きだったから、それに気づきたくない、という気持ちの狭間で訳分からなくなっていたのだと思う。このしこりがとれるまでに5年かかった訳だ。うん、私と同じようなことに大半の人が気づく5年後くらいには、きっとmixiもブログも、なくなってるんだろうな。
コンピュータ音楽であれば、アナログの音楽を生み出すための「ツール」ですむ。技術は取り入れなければ行けないが、それに完全に蝕まれてはいけない。
さて、つくりかけのオブジェ、もっとがんばるぜ。
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今回の曲のためにつくっている、ブツをなんと呼べばいいのか分からないので、とりあえず「オブジェ」と言っている。だけど、限りなくオブジェではなく、装置のような気がするw
今週末はこれと戯れまくる予定。さぁ、どうなるだろうか。もがけもがけ。
あ、ブログ9万ヒットありがとうございます。本家サイトもいつの間にか5万ヒットありがとうございます。
P.S.モックアップを大量に提供していただきました、ドコモショップ新大前店片桐店長に厚くお礼を申し上げます。ドコモユーザーのみなさんは、じゃんじゃん遊びに行きましょう(笑)。充電無料サービスとかしてるんですよ、知りませんでした。隣の喫茶店に行くついでに、充電器にセットして、帰りにとって帰る…とかやっている人多いらしいです。ウィルコムショップも近くにあればいいのにナ。
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・まだ結構余裕
・でも気持ちは結構張っている
・自分の楽譜を見たいような見たくないような、でも見なきゃいけない
・ピアノに向かうと、とりあえず違う曲を弾き出す
・とつぜん徘徊しだすw
・人と会うと喋りたいけど(会話に集中できないからか)うまく言葉が出てこない
・ひとたび書き始めだすと、かなりハイになる
・そして結構すぐに落ち込む
・ふたたび書き始めるまでに時間がかかる
・その間は自分の心の中で禅問答を繰り返している
・その禅問答は、つくってる曲とは直接関係ない
・だけど、その時間が長ければ長いほど、素直になれる
・素直になると、下手な欲だの見栄だのがなくなって、
音符をそこに置くことだけに集中できる
・といってもその持続力もそんなにない(そうなってる時はたいてい早朝)
・というわけで結局時間がかかる
→結論は、焦らず時間をかけてこつこつと。
そんな感じかな。普段こんなこと誰にもいわないけど、あえて露呈すればそう。こればっかは人それぞれだと思うんだけど、他の人はどんな感じなんかなぁと時々思う。知ってどうってこともないんだけどね。
レッスンの2日前だよ。
・・・
NHKがまたやってくれてる!星新一のショートショートの映像化番組。どうだろうなぁ、映像って見流すことができちゃうから、もったいない気もするんだよな。文字だったら、そこに引き込まれる感覚っていうか、あの「どうなるんだろう、どうなるんだろう」って思わせられる緊張感みたいなものは、映像作品化で強制的な時間軸を持たせてしまうことによってそがれてしまうんじゃないか、とも思うけど。とっつきとしては良いんじゃないかなとは思います。
蛙男商会の作品がYahoo!動画で無料公開されてますね。普段Mac使いなのでWindows立ち上げないと見れないのでしばらくおあずけだな。7月3日までの配信。
・蛙男劇場
・秘密結社 鷹の爪
・古墳ギャルのコフィー
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「きみは、たいよう」
・・・
ピッチ検出によって、文字を出すプログラムを使って、音楽を書きました。そのピッチはある法則に従って、決定させました。「たいよう」という言葉を出すためにひたすら奏でられる音楽です。
Max/MSPのプログラムはこんな感じ。隠れている部分も多々あるので、これだけじゃないですけれども。ピッチの判定の精度をコントロールするのがとても難しいところです。
今日は、自分自身、卒業研究の中間発表的な感覚でした。終わった後先生にも言われたけれど、「来年(度)の前期が勝負だから」って。そう、あと5ヶ月程しかないんだ。ある意味、今日本当に完成されたものを見せられなかったことはよかったかもしれないな、と。課題がたくさん見えて、それはこれからも継続していくべきことで。
本当は合唱作品を今期に持ってくる予定はなかったんだけれど、どうしても今期にやらないといけない、と思ったから無理にでも前倒しして良かったと思います。僕の行くべき方向がうっすらと見えたような気がして。それを信じて僕は進んでみようと思います。
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僕に太陽はのぼってくれるだろうか。『Sunrise』という曲をつくりました。
今期の曲は、混声四部合唱曲で、Max/MSPによるピッチ検出によって文字を表示させるプログラムとともに行います。文字の濃淡はピッチの高低・文字の大きさは声の強弱。表示位置はランダム(drunk)。
これをつづけていくと、こんな感じになります。
表示する文字はピッチの組み合わせによる音程検知で行います。
このギミックによる作曲は、卒業研究の一つにしようと思います。通過地点である、14日の作曲セミナーで成果が出せるかどうか。来年度にむけた大きな鍵になると意気込んでいます。
音楽の最後の一文で告白を。
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以下の文章は、大学のとある講義(日本のメディア産業の仕組みついての講義)の最終課題、「人生、宇宙、すべての答え」は?で書いた、ワタクシの文章。
この街の池に はすの葉がひらく
夏の星座をうけとめるように
それはまるで パラボラのようで
見えないものを信じることを教える
この詩は私の尊敬する槇原敬之さんの「CLASS OF 89」という曲の一節です。この一節は数ある槇原さんの詩の中でも、人生と宇宙がリンクして広がって行く感じを受け、「見えないものを信じること」というすべてに対する答えを表しているような気がして、はじめて聞いたときから心うたれました。
この曲が書かれた1993年当時は、携帯電話も普及していなかったし、インターネットの存在すらほとんどの人が知らない頃でした。テレビやラジオは普通に普及してたとはいえ、その送信所は地上に見える鉄塔から。通信と言えば固定電話であり有線方式だから、その詳しい方式は知らないとしても、「感覚的に」わかる技術によって放送や通信が行われていたのだと思います。しかし、「パラボラアンテナ」という、大変滑稽な形でありかつ、神秘的な形をしたもので受信する衛星放送にであったとき、送信所(正しくは中継所ですが)が見えない宇宙にあるという壮大さと、見えないものでもしっかり受け止められるものがあるという勇気を、我々に与えてくれたのだと思います。
学校の通学路、パラボラアンテナをつける家がどんどん増えて行く小学校時代を送った私はそれを鮮明に覚えています。槇原さんは日常のなにげない変化や感覚を例えにつかって歌っていく人なので、そんな感覚がいち早く盛り込まれたのがこの曲なのです。「星座を受け止めて開く蓮」という宇宙的感覚をパラボラアンテナで例える、というこの詩は、それだけパラボラアンテナの出現が神秘的であったことを意味しています。
槇原さんの曲は一曲がある物語になっているものが多く、この曲も例にもれずそういうつくりになっています。この曲の主人公の彼は、大学時代に友達だった女性から一通の手紙をもらいます。彼は実はその彼女に思いを寄せていたのですが、その手紙には「来年には結婚する」という文字が。彼は大学時代の夏休みに、彼女と一緒に花火を見に行った事を思い出します。おそらく、お互いに思いを寄せ合っていたのでしょうが、「好きだ」と言えず、でもなんとなく一緒にいる仲間同士だったのです。それから2年が経っていて、彼は「彼女からの最後の手紙は僕に対するエールだ」と胸に刻んで、大学時代の思い出を胸にがんばろうと思い直します。
好きだと言わなくても、言われなくても、お互いわかっていたのです。それが「見えないもの」であって、それを信じ合っていたのです。それなのに、「結婚」という見える形におさまってしまった彼女をなげいて彼はサビの部分でこう歌います。
どうして君は 僕のことを
追い越して行ったの?
四年も二人 通った場所が
嘘になって行く
「追い越した」という表現にも見られるように、一貫してこの曲では、見えないものを信じられなくなってしまったとき「大人」になってしまうと説いているのだと、私は解釈しています。ただし、ここでいう「大人」とは決して良い意味では使われていないのですが。
こういうふうに考えられるようになったのは、ごく最近のことです。私は大学に入ってから「現代音楽の作曲」を勉強するようになって、「今」を表現すべき曲を考え、作曲を続けています。現代音楽の、無調でありメロディーも無いような音楽をつくることは、自分で生み出した何らかしらの秩序に基づいて曲をつくりあげていく、「今の自分との対話」のような感覚を覚えます。それは、例えば利益を追求したり、権威にすがりついて、売れるような音楽を書くのとは全く反対の行為で、ともすると子どもの奏でるでたらめな演奏と一緒になってしまうかもしれません。それが芸術になりうるかどうかは紙一重でそこを上手く見極める必要があります。大学生活半ばを過ぎ、もうすぐ卒業が目に見えて来て、ふと我にもどって考えると、大学生であるからこれを悠々とできるのであって、これからの自分の人生においては、どっちをいくべきなのか迷うのです。芸術の高みを目指すのか、商業主義に走るのか。自分の本当になりたい方はどっちなのか。
去年の5月から8月にかけて、「窓に映る宇宙」という2台ピアノのための曲を書きました。これは、槇原さんの言う「見えないものを信じること」をもう少し大きく解釈して、「聞こえないものを信じる」ということがテーマでした。宇宙には天体がたくさんあり、それは音もたてずに回り続けていて。宇宙という無音の世界にある、莫大なエネルギーを音に変換するということをしてみました。見えないもの、聞こえないものを信じ続けることをやめれば、自分が自分でなくなってしまうのです。まだ見えないものがあると信じているからもっと遠くをみたくなる宇宙と同じように、新しいものをみたいと思う気持ちこそ、「見えないものを信じる気持ち」であり、それが何かを生み出す原動力であり、すべてが忘れてはいけない心なのです。
『窓に映る宇宙』(8/6オープンキャンパス 音楽棟合唱ホールにて)
http://tatsuto.way-nifty.com/blog/video/muu.wmv
『CLASS OF 89』
9thシングル「彼女の恋人」のカップリング
詩は、「槇原敬之詩集」ぺんぎん書房(絶版)にも収録。
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忘れもしません、2004年5月28日(金)。僕が産まれてはじめて徹夜をした日です。
演劇部地区合同公演の本番が翌日、という日。演出の先生がいちゃもんをつけてBGMをかきなおさなければいけなくなったからです。
その先生がまたワンマンで…全国大会まで出場できるほどの演出力をもちあわせた先生だったのですが、その先生の言いなりで劇が動くのがとてもイヤでした。生徒にも演出がいるのに、全然機能してなくて。
・・・
僕もちょうどその頃、曲が全然書けなくて、うまくいかなくて、いちゃもんつけられるのも心のどこかではわかってたんでしょうけど、でもそれを認めたくないって思ってて、結構辛かったんです。
書けないなら、かけるまでがんばってみようと思って、色々と気分転換を計るために、その一年前の合同公演のビデオを見たりして、気分を高めて、やっと書いた曲がこれです。
高校3年のこの時期、今からもう3年前も前なのか。今思うと、「徹夜はしちゃいけない」っていう頭ごなしに考えていた自分の心を、開くことができた瞬間だったんだなぁって。
・・・
この曲、BGMとしてはまぁまぁ成功だったと思いますが(その先生はあんまり認めてくれなかった)、それよりも、音楽的には自分では全く納得いかないものでした。独学での作曲手法の限界を感じていた頃で、大学で作曲を学びたいと強く思うようになりました。
先生がこの時認めてくれなかったのがとても悔しくて悔しくて、どうしても見返してやりたい!という気持ちで作ったのが、僕の大学受験曲となるこの曲です。
技法で行き詰まったなら、違うところで勝負したれ!よし、拍子を奇抜にしよう!という今から考えればずいぶん破廉恥な考え方でしたが、結局これが曲としては成功して、大学に無事に入る事ができましたし、NHKのローカル放送でも紹介されました。
・・・
テレビで放送されるということが決まった時、僕は例の先生にメールを出しました。その返信が「NHKに流させるあたり、さすがですね」と。その瞬間、勝った!と思いました。
その時は、勝利に陶酔しきっていましたが、今ではとても先生に感謝しています。あの時、悪いものを悪いと言ってくれたから、いま僕がここに居るんだなぁ、と。「まぁ、いいんじゃないの」って中途半端に返さないでくれたから、あの時ここまでやれたんだろうな、って。
だから今度は僕が誰かにそうしてあげたいって思うし、自分自身にもそうしたいと思ってます。
・・・
今日、「のだめカンタービレ」の作者である、二ノ宮知子先生にファンレター以上のファンレター(笑)を送りました。昨日の夜から書き出して、午前3時くらいまでかかっちゃった(爆)。徹夜ではないですがね…寝る前にトイレに行ったら、もう朝刊がありましたよ、空も段々明るくなって来てて。そうかぁ、3年前の初めての徹夜の日もこんな感じだったんだなぁ…。先生から返事が返ってくると良いな。
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『40%が「ブラインドタッチ」できる〜タイピングに関する調査』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070531-00000013-inet-inet
へぇ、40%ですか。微妙な数字ですね。僕は多いという印象を受けます。そんなにブラインドタッチが出来てる人が全年齢でいるでしょうかね。でも、個人的な希望としては「少ない」ですね。パソコン使う人の8割位はブラインドタッチをしていて欲しいですねw
僕はパソコンを使い始めることができたのが早かったので、ブラインドタッチで文字入力してますし、入力は早い方です。友人に言わせると「指が昆虫のようだ」だそうですw 最高の褒め言葉ありがとうございます。
でも、これはピアノをやっていたおかげだと思いますね。ピアノ演奏は10本の指すべてを駆使しますから、「指を所定の位置に置いて押す」という行為はやり慣れている訳です。だから、逆にピアノを弾いている人がブラインドタッチできていないのを見ると、無性に腹が立ちます(爆)。
いつからブラインドタッチができるようになって、そしてそれから入力が早くなったのかなと考えてみると、パソコンを使い始めてから2年くらいのうちだったと思います。文字を大量に早く打たなければいけない状況におかれたのがその頃だったからです。要は、切羽詰まった状況で実践をするということこそが、ブラインドタッチ&入力スピードアップの秘訣だと思います。
・・・
ブラインドタッチができると、自分の思考のスピードと同じ早さで文字を打つ事が出来るようになります。そうすると、レポートのアウトラインなどを作る時はかなり便利なのですが、逆に、深く考えたい時に、書き出すスピードが早すぎるために、その次の思考が止まってしまう事があります。
自分の思考を形にする時に、ブラインドタッチが不可欠であるとは思いません。普通は逆ですけどね、そしてそれをうたい文句にしてタイピングソフトは売られていますけれども。
手書きで紙に文字を書くというのはとても重要な事だ、ということです。文字を書きながらも頭は色んな事を考えていて、書く事によって良い刺激になるときもあります。
・・・
楽譜でもそうです。僕はポップス曲をつくるときは、楽譜すら書かずに、実際に演奏の録音を重ねて行きますが、大学のレッスンで持って行く曲(現代曲です)は、もちろん手書きです。手書きで楽譜を書くと、本当に色々なことを考えます。考え過ぎもよくないのですが、考えなさすぎももちろん良くない訳で、そこのところの葛藤がいつもある訳で…。
手書きだとスピードが断然遅い訳です。文章だと短い言葉の中に重みみたいなものを入れる事はできるのかもしれませんが、音楽の場合時間軸が必ずあって、それが大切なので、一生懸命書いたと思っても、演奏してみたらあっという間だったり、自分の意図を伝えるための適切な時間を書けて音楽が流れるのか、という問題がそこに出てきます。
そこの判断が難しくて、面白いところであるわけです。
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今日は、色々あったなぁ。
まず、昼食を「楽楽(らら)」というお店に食べに行きました。自宅からほど近いところにあって、数ヶ月くらい前から旗をだしてて「昼定食490円」って。入ってみれば、すごくこじんまりしたところで、アットホームな感じでした。マスターに聞いてみたら、オープンしてから一年と数ヶ月って言ってたな。
そのあと、県民会館に行って、お隣書道科の教授の書展を見に。野中先生の字、好きです。字が絵に見えてくる生き生きとした感じ。16時頃に行ったのですが、色んな人が大勢きていて大盛況でした。書なんか見た事無い!って言う人でも、わかりやすいというか、すっと自然に入ってくるというか、そんな書です。ぜひお近くのかたは見に行かれる事をお勧めします。
新潟大学教授退任記念 野中吟雪書展
新潟県民会館ギャラリーA
明日4/1(日)最終日9:00〜15:30 入場無料
そのあと、友人のピアノの発表会を見に、音文へ。
最初ちょっと間に合わなくて、3人めから聞いたのですが。小さい(幼稚園〜小学校低学年)子がすごくいい音だしてるんですよ。びっくりしました。なんていうか、かざっていない素直な音に僕は聞こえました。
すこし大きくなってくると、やっぱり色々テクニック的なことが絡んでくるので、音を意識して出すようになりますよね。プロってその「意識」が見えないほどにうまくカモフラージュできる人だと思うのですが、その意識をカモフラージュするのがとても難しいんですよね。
小さな子って自分が素直に良いと思う音、それも技巧的にはやっぱり拙いんだけど、曲をよく聞こえさせるポイントみたいなものがどこかにあって、それをちゃんと無意識の中にセレクトしていて、それを演奏している。つまり、耳がとってもよい、感受性豊かな天才だと思うのです。
友人の演奏も大迫力でしたが、それ以上になんだか温かいものを僕は気づけた発表会でした。さそってくれてありがとう。
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昨日の晩は、応募曲の夢を見ました。なんだかよくわからない夢だったけど、スタジオみたいなところで慌ただしくレコーディングをしている夢だったなぁ。寝る前も起きた直後も自分の曲が頭から離れなくて(笑)、なり続けています。
・・・
考えてみればこういう普通のポップスの曲(歌付き)を書いたのは、1年以上ぶりです。しかも、音源のYAMAHA MOTIF-RACK ESを買ってから作ったちゃんとした歌としては初めてなんです。最近は短い曲とかBGMばっかり書いていたので。
久しぶりに曲に詞をつけなければいけない、ということと、どこで「自分らしさ」を組み込むべきなのかというところをずっと考えていて、なかなかまとまりませんでした。
それに、イメージソングを音楽科のある県内の大学に募集するということは、それなりに勉強してるんだろうから、って意図でしょうから、いくらデモとはいえ素人臭いのはイヤだし、趣味が高じてできました的なものでは大学で勉強している意味が無い、というか。
・・・
そういう意味では高校の時に「MANY FACES」(大学に提出した受験曲)を書いたときよりもかなりのプレッシャーでした。そのプレッシャーをはねのけきれなかった感は残りますが、今の僕の力をすべて注いだ曲ができたので、これから良い形で次のステップに踏み出せる気がします。
今回の曲、キャッチフレーズを付けるとしたら…
…ですね。地味に、タイトルも公表していないのにキャッチフレーズ出してみました(笑)。
歌詞のテーマは「家族」。アスリートは『よーい、ドン!』の瞬間にいままでの色んな事を走馬灯のように思い出すと思います。練習のつらかったこととか、支えてくれた人たち(特に家族)の顔とか。そんな瞬間を描こうと思った詞です。
このブログも僕の考えを文章かしてまとめる良い場所になっていて、このブログで書いた言葉も詞に取り入れられていたりします。
「自分らしさ」は無理して作り込まないことにしました。僕の場合「リズム」が僕らしくなる最大のポイントなのですが、きっと自分も気づかないようなところでそれは出るだろうから、気張らないで行こう、と。「MANY FACES」のように変拍子のオンパレードにはしませんでした。普通の4拍子です。 ただ、祖父には「凝ってる」と言われました(笑)。
・・・
こんなふうに言葉を並べても…、みなさんに聞いてもらえるのはいつになるんでしょうか(笑)。
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良い曲できましたよー(自画自賛)。やっぱり作曲する場所をかえると、気分も一新、集中してできました。これぞ実家パワー。
未公開曲が前提なので、まだネット上で聞いてもらう事ができないのが残念!近い友人には聞いてもらおうと思っています。
祖父母には聞いてもらいました。祖父からは「未完成な感じはしないし、勉強した人がつくった感じがする」と、祖母からは「ダカーポみたいな声ね」とコメントを貰えましたw。ダカーポって古いよ(笑)。
明日は楽譜(メロディー譜)を作ります〜。
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今日は朝からずっとBSアンテナとりつけをしていて午後の4時位までかかりました。アンテナ取り付けは比較的簡単なのですが、コードの取り回しがね。雪にやられるといけないからと、丁寧にコードを壁にうちつけるのがなかなか大変でした。
とりあえずアンテナをテレビと結線(BSアンテナに付属の15メートルのコードだけでは少し足りず、100均のF栓メス同士のプラグを買ってきて、テレビ付属のコードと結線)してアンテナレベルを見たところ、「0」の表示。大丈夫かなと心配になりながらも、携帯電話で連絡をとりながら、左右に方向をかえていったところ、なんとレベル91まで出ました。微妙な方向の違いで受信するかしないかがかわかるんですね〜。
めでたく、BSデジタル受信成功です!画面大きなテレビ買ったからには、デジタルハイビジョン放送見なきゃ意味ないですよね♪奇麗さに祖父母も大満足です。
・・・
その後、国体テーマソングに応募する曲のミキシングを開始。僕の分のコーラスの録音も終了。あとは、本当に詰め。明日がんばろうっと。
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今日(日付的に昨日になりました)は国体イメージソングに応募する曲のヴォーカルレコーディングを行いました。かねてから歌をうたってもらいたいなと思っていた人に頼んだので、楽しかったです。
昨日曲を渡して今日レコーディングという強行をしましたが、さすが歌科でしたねー。あとは、僕がミキシングと曲のアレンジをもう少し頑張るのみです。
明日、実家に帰省しますが、そんな訳で、MOTIF-RACK ESを手持ちで帰ります。この間買ったバッグが本当にちょうどいいんですよ、見てください、このフィット感。
明日は早起きして家の片付けしなきゃ(汗)。でも、10時から打ち合わせ〜♪
曲が完全に完成するのは来週の半ばかな。
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昨日、作曲の研究室の追いコンでした。もう後期の授業が終わってるので、先生と会うのも久しぶりでした。ちゃっかり2次会まで着いて行き、先生のよもやま話をたくさん聞く事ができました。
なんだかそれのおかげですっきりして、今日、今まで考えていた曲の考案を実際に音になおすことができて、メロディーラインの完成とともに歌詞も決定、ベース&ドラムも打ち込み終わりました。
未発表曲でないと応募できないので、ここで公開することはできませんが、結構普通の曲になりました。そうそう、それでいいんです。あんまり、音楽で自己主張が強いとイメージソングにならなくなりそうだからね(笑)。
ただ、その分今回は歌詞は言いたい事ぶちまけた感じです。以下は応募票に書いた作品についてのコメント。
…
この曲のテーマは「家族」です。最近、自殺やいじめのニュースが絶えず流れてくるのにはうんざりさせられます。特に自殺は私には理解できません。いろいろな人に支えられて、こうやって生きている自分、そしてスタートラインに立てる自分がいます。だから、自分を育ててくれた家族に感謝しようという曲をつくりたいと思いました。
私たちのグループ名『craper』は、洋菓子のクレープに「er」を付けた造語です。何かをあたたかく包み込むことができるような人(それができる人は家族を持てると思う)になりたいという願いからです。
…
そう、グループ名を「craper」にしました。グループ名ってなかなか良いのが決まらないじゃないですか。じゃあ共通点を探そうっていう話になり、好きなお菓子(洋菓子限定)をせーので言おう…
クレープ!
どんぴしゃり。笑いましたねw。んで、クレープする人ってことで「クレーパー」です。明日レコーディングします♪
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んーどうも、ふんぎりがつかないんだよな。書きたいテーマが重過ぎるのもあるし、それに見合った曲をかけるかどうかという重圧。
・・・
昨日は音楽科の追いコン。久しぶりに結構飲んで、そのあとカラオケ(去年の夏以来!)に繰り出し、マッキーばかり4曲(世界に一つだけの花・僕が一番欲しかったもの・遠く遠く・どんなときも。)歌い(笑)。
今日はドラムレッスンの後、ヨドバシカメラなどに用事があったので、自転車こぎこぎ。
・・・
はっきり言って、国体のテーマソングを書くという気持ちではなく、自分の気持ちにうそをつきたくないというほうが先行しています。
こういうときは何かショック療法的な何かを求めたくなります。何かしでかしにいくかな。
大丈夫です、法に触れるようなことはしませんから(笑)。
・・・
P.S.父のブログも人気ブログランキングに参加して、じわじわとランクが上がっていますよw。
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文字とか言葉とか、書き始めたり言い始めたりすると、ちょっと脚色したり大げさに言ってしまったりと、なかなか本心を伝える事って難しい物です。
だからこそ、自分の心には嘘をつきたくないなって思います。
今国体のテーマソング応募するために曲かいている真っ最中なんですけれど、久々に詩を書いているので、書きたい事はとても明確なんですけれど、どういうふうにかけば一番伝わるかって、試行錯誤してます。
書きたいテーマは、もちろん(?)、「家族」。最近、自殺とかいじめとか多いじゃないですか。特に自殺かな、僕には理解できません。いろいろな人に支えられてこうやって今生きている自分を育ててくれた家族に感謝しようっていう歌をつくりたくて。
自分の心に嘘をつきたくないっていうのは、詩を生半可な言葉の羅列はしたくないっていうことでもあるのですが。
2、3曲書きたいとは思ってたけれど、この曲にしぼって頑張ろうかな。もう一曲は本当に余裕があったら。
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今日から12月。僕の誕生月なのですが、律儀にもこの12月1日ぴったりに、社会保険事務所から「国民年金払えや」という文章が届きました。ご苦労様です。
…
作曲科のブログとうたっているわりには、作曲のレッスンのこと一回もブログにかいたことがないので、書いてみようかと。
今日は作曲のレッスンでした。毎週金曜日のレッスン。先週は休みだったので(推薦入試準備の為)、1週、間があいた後のレッスンでした。
毎週毎週、曲を書いてもっていかなくてはいけません。といっても、毎週新しい曲を書いているわけではありません。同じ曲なんですが、なかなか前に進まないのです。というか、最初の導入部を書くのが僕はとても苦手らしくて、いつも最初の数ヶ月はここでとても悩みます。
なので、毎週同じ曲を書いているとはいえ、同じモチーフであるというだけで、楽譜は全く違うものになったりします。
先生はいつも「この曲で何をやりたいかがわかる譜面を書いてきて」といいます。譜面というのは、作曲家が意図していることが如実に表れるものです。逆に、表さなければいけないものです。それが見える曲、そして、その意図が、演奏したときに「機能」するかどうかがレッスンのポイントとなります。
先々週のレッスンで、とても面白いことを言われました。その時持って行った曲がコレなんですが↓
譜面はなんとなく見ていただくだけで結構です。詳しく見てもらう為にアップしたわけじゃないので。これで先生に言われたことが「聖徳太子のようにいろんなことを同時にやろうとしすぎてる。これでは、聞いている人は何をしたいのかがわからない」でした。同時に、「いっぺんに何かやろうとしてしまう、若さゆえの音楽だと思うよ。もっとデーンと構えて、例えば”ピッチを上げたい”ならば、それだけに時間をかけなきゃ。そうしてそれがある程度できたら、次に”何をしたい”というふうに、もう少しパーツパーツで考えてごらん。それからそのパーツ同士がうまく流れるかが難しいところだけれど。」
”いっぺんに何かをやろうとしてしまう”と言われて、もちろん、この譜面を書いている時、いろんなことをいっぺんにやろうとしていたな、という納得と同時に、”若さゆえだ”という、今のこの自分の状況(やることが多すぎてテンパっております汗)と、とてもシンクロしてて、何かグッと来たんです。自分の今の状況がモロに曲に反映されちゃってるなって。
…もちろん言われるのは、これだけじゃありません。つくっているのは、「音楽」なので、いろんな要素があり、いろんな角度からいろんなことを言われるので、書ききれませんけれども。
今日は、先々週、そういわれたことを踏まえて、一つの「やりたいこと」に集中してやってみました。導入部はどうやら成功したようで、先生に誉めて頂きました。やっと前に進めそうです。
たくさんやらなきゃいけないことがあって焦ってる僕よ、一つずつ片付けていけばいいんだよ。それをやっている時はその一つだけに集中してやればいい。いろいろ考えすぎて、考えなくてもいいことまで考えてると混乱して何も手がつかなくなっちゃうから。
そう思いなおして、また気を引き締めてがんばろうと思います。今日はちょっとイイことあったし♪それは、また後日書きます。
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まだ言葉の知らない赤ん坊は、両親の話や近くにいる人の話によって言葉を覚えていきます。それは真似をするところから始まるのです。
少し大きくなって、言葉が達者に使えるようになってくると、親の口癖などを真似してしゃべるようになります。つまり、すべては真似からはじまり、そして知らず知らずのうちに、その人らしいしゃべり方みたいなものになっていきます。
言葉と同様、音楽もまったくそうです。まず、音楽を聴く力・聞き分けられる能力がつきます(言葉を覚えている段階)。つまり、たとえばポピュラー曲を聴いて、どういう楽器構成で曲が成り立っているのかがわかる…ベースとドラムとメロディーと伴奏楽器が聞き分けられる、というところからすべてが始まります。それまで平面的にしか聞こえてこなかった音楽が立体的に聞こえるようになってきます。
その次に、その聞き分けられる能力を使って聴いたときに、自分で「いいな」と思うものを真似してみたくなります。そして「創作」がはじまります。
創作は絶対に真似から入ります。0からの生み出すなんてありえない。
では、何をもって「創作」と言うのか…それは、それを創作した人の意思によって、それが「創作物」であると宣言することによって「創作」になるものだと思います。つまりクリエイターには多大な責任があるわけです。それとともに作品を生み出すつらさと完成したときの感動を一番良く知っています。
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今回の槇原さんと松本さんのの盗作騒動。レコード会社がとっても不明な行動をとりましたね。「同曲が両者が了解した上で制作されたことをホームページ上で発表する案」を両者に提案したそうですが…当たり前だけど、嘘っぱち。こんなのでことが解決すると思ったのでしょうか。制作段階で「松本零士さんの言葉に似てるね」って誰か言わなかったのか…。
それはともかく、アーティストを支えなければならないレコード会社がそんなことをしては信頼を損なうと思います。とりあえず謝らなきゃと必死だったのでしょうが、あまりにも芸術にたいする尊敬の念がない、事務的な処理だと思います。
どうも、マッキーはソニーに縁がないねぇ…なんて言ってみたり。デフスターレコーズもソニーのレーベルだったはず&槇原さんは昔SMEレコードでした。
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さて、後期の授業も本格的にはじまりまして、明日から魔の金曜日、じゃなかった(笑)、作曲のレッスンが明日から始まります。
去年の後期は「ソナタ形式の曲」をつくるレッスンでしたので、ルールに忠実に・それでいてオリジナリティー…みたいなところの勉強だったのですが、今年は前期に引き続き「自由曲」をつくることになりました。はい、もちろん現代曲です。
んでもって、「前期とは違う楽器編成で」(前期は、ピアノで書けという指定だった)ということ。というわけで、今回の曲はドラムとピアノの曲をつくろうかなと思っています。ちょっとリズミカルで明るい感じの現代曲をつくりたいなと。
実験的な作品になりそうですが、書きたいこと書いていこうと思います。僕にとっては「ピアノだけで曲をかけ」というのが結構つらかったので、新しいことができるのがとても楽しみです。
音楽棟地下練習室にある、なつかしのピアノ丸椅子。丸椅子を見ると僕は小学校の音楽室を思い出します。音楽室の独特のにおいとちょっとくるい気味のピアノ。
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来週月曜に発表する自作曲、「ろうそく」がようやく完成しました。
4月の先生の「光をテーマにかいてみよう」という言葉とともに始まったこの曲(現代曲です)、アイディアを絞りに絞ってやっと出来たという感じですね…。
今回は自分で演奏するのではなくて、弾いてもらいます。現代曲なので、楽譜にかかれた音符は意図だらけなので、意思のある音符が僕以外の演奏者によって奏でられて、それを客観的に聞けるとすごく面白いわけですよ。
「そうそう、そう言いたかったんだよ」っていう感覚。うまく言葉が出ない時に、友達がフォローしてくれる時あるじゃないですか、そんな感じですね。
今回は、完成したときの感動が去年ほどではありませんでしたけれど、去年かいた曲よりかはレベルアップできていると思います。と、いうわけで、ここで去年つくった「壁」という曲をお送りします!
去年は特にテーマ指定はなかったのですが、「自分の本当の心の中を表現しなさい」ということをずっと言われていたので、この曲を書こうとした時に、大学に入ってわからないことだらけで壁にぶち当たっていたのでそんな気持ちを表そうとつくったものです。
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今日は作曲のレッスンでした。今日は大切なことを先生から言われました。
「どっちかっていうと器用貧乏なんだよね。何かアドバイスされてそれに順応できないってことがないでしょ?言われたことはすぐ直しちゃうんだけど、それに対して疑問を持っていない感じ。そのまま飲み込んじゃってるから、それを使って出てくるものは”あなたらしさ”がない。」
これは、もう作曲とか以前に僕の生き方みたいなところの真髄を言い当ててているような感じですけれども。
時々、自分がやることは全て自分で考えよう、みたいな発想をしてしまうときがあります。でもそれって結局不可能
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